守門岳・浅草岳

(2008年11月)

 

 新潟・福島県境付近に位置する守門(すもん)岳と浅草(あさくさ)岳(図1)。守門・浅草とまとめて呼ばれることも多いが、全国的にはそれほど知名度は高くないだろう。地理的には八海山や越後駒ヶ岳などの越後三山の北、といえば少しはわかりやすいだろうか、それとも只見の東? 守門・浅草いずれも、越後三山只見国定公園に含まれる、少し古い時代に活動していた安山岩の火山である。


図1:守門浅草付近の地形陰影図。開析された谷、大規模にくずれた崖、元に近い火山体の緩斜面が区別できる。

 

守門岳


 この火山は240万年前から170万年前にかけて活動していた成層火山だ。標高1,537.2mとそれほど高くはないが、火山体の基底は直径約12kmもあり、わりと大きめの火山だ(図2)。しかし、長い間に浸食され、山体の開析が進み、火山らしい趣はもはやない。北側の守門川上流には、守門岳山頂を頂部とする馬蹄形の浸食カルデラらしい大きな谷が発達する(図3)。豪雪地帯に位置し、しかも北面のため、谷底には遅くまで雪が残る硫黄沢だ。この火山では山頂附近で噴火を繰り返していたと思われるが、その中心となった場所はおそらくこのカルデラで消え失せた。

 カルデラといっても大規模な噴火がおこったわけではない。カルデラには陥没カルデラ、爆発カルデラ、浸食カルデラという区別がある。ここは浸食カルデラだ。ほかの2つのタイプのカルデラは火山の活動によっておこる大規模な噴火だが、浸食カルデラはそれとは違う。長い時間の間に浸食が進んで谷幅が広くなったのだ。研究者によっては、それは本当のカルデラではない、と主張する人もいるくらいだ。

 このカルデラ地形の西縁が守門岳山頂から大岳を通り網張山に続く稜線なのだが、その西側には緩斜面が広がる。この部分は古い火山体のもともとの表層だったことを示している。もちろん、それなりには開析が進んではいるが、もともとの傾斜はだいたい保たれていると考えてよい。古い火山といっても、部分的には浸食が弱い場所も残されるのだ。ちなみに東側のカルデラ縁は守門岳山頂から烏帽子山へと続く稜線だが、その東側には緩斜面は残っていない。

 この馬蹄形のカルデラ地形ができたのはずいぶん古い時代のことで、長い年月をかけて形成されてきたようだが、山が大規模にくずれる現象は火山活動が終わっても継続する。例えば、それほど規模は大きくないが、網張山の北側斜面にはわりと新しい馬蹄形に開いた地すべり地形がみられる。研究者は地形図で見て、「地形が新鮮だ」という表現をすることがある。この堆積物がたまってできた平坦面が源氏の落人が住み着いたという吉ヶ平だ。山頂へ至る吉ヶ平コースの入口だ。また、このコースの途中にある静かな大池は、この地すべり堆積物の凹凸上に生まれている。

 もう一つ、守門岳には大規模な崩壊の歴史がある。いつ、どこがくずれたかはもはやよくわからない。それは、西側に広がる崩壊堆積物の存在が示している。破間川の北岸から大池登山口や大岳保久礼登山口にいたる、旧入広瀬村の横根地区や旧守門村の高倉地区などに広がるもやもやとした凹凸のある平坦面だ。その北の万太郎山も同じ堆積物でできているらしい。ずいぶんと広く分布している。よほど規模が大きかったのだろう。凹凸の正体は山がくずれてきた流れ山なのだ。だいぶ開析され、不明鏡なものもあるが、この辺り一帯は間違いなく流れ山地形である。ただ、「地形が新鮮ではない」のだ。かつて、守門岳が大規模に崩壊したに違いない。大規模に崩壊した元の地形(馬蹄形のカルデラ地形)が見当たらず、まだ火山が生きていた頃だったと考えてよいだろう。崩壊して形成された崖はその後の新しい溶岩に埋もれて隠されてしまったのだ。

 

図2:南西よりみた守門岳。中央が守門岳山頂、左は大岳。

 

 図3:大岳山頂よりみた守門岳北側の硫黄沢源頭部(浸食カルデラ)。中央が守門岳山頂だが、そこまでは右側に緩傾斜面が広がる。


浅草岳


 今から約160万年前頃に噴火していた、守門岳より少し若い時代の成層火山だ(図4)。10万年間ほどでわりと短期間に成長した火山らしい。標高は1,585.5mで守門岳より少しだけ高い。浅草岳を中心とした火山と鬼が面山を中心とした火山とに区別することもあるが、一般にはまとめて浅草火山だ。大部分は山頂を中心とした噴火でできあがったのだろうか。最後の噴火は浅草岳山頂付近でおこっていたと思われる。

 浅草火山には噴火中心と推定される地形はまったく認められない。守門岳と同様だ。もともとの火山体の表層地形に近いと思われる緩斜面が、浅草岳山頂部から北~北東方向にかけて見られる(図5、6)。北東側、入叶津口登山口からの登山コースをたどった山頂付近の緩い斜面地はその一部だ。また、南岳から六十里越にかけても南傾斜の緩斜面が存在し、これらはいずれもほぼ元の表層地形とみなしてよい。

 浅草岳山頂から鬼が面山を経て南岳に至る主稜線は、完全に東西非対称だ。主稜線の西側はもとの火山体にわりと近い傾斜が残っているが、反対側、特に鬼が面山付近では絶壁が連なり、成層構造がよく見え、火山体断面の好露頭となっている(図7、8)。

 浅草岳山頂の北西側に、馬蹄形をした大規模な崩壊地形がある。その下流側には流れ山が点在する小起伏面が広がっている。ネズモチ平までの林道沿いにやはりもやもやした小山のある緩傾斜面が広がるが、これが流れ山地形なのだ。

 また、浅草岳北東、入叶津口登山口から沼の平コースをたどる沼の平は、西側の猿崖と名前がついている場所がくずれた跡の崖で、崩れ落ちた土砂の上には濁り沼や曲沼など凹凸を埋めた池がいくつも生じている。これらの地形は火山活動とは直接関係はなく、もっと新しい時代に作られている。それは、詳細な地形図を見るとよくわかるが、“地形が新鮮”だからだ。

図4:浅草岳(右)-鬼が面山(左)の南面。

 

図5:背景に守門岳よりみた浅草岳。左側に緩傾斜が続き、その手前に崩壊した馬蹄形の崖がある。

 

図6:浅草岳北面に広がる緩傾斜面。

 

図7:鬼が面山の東壁。やや右奥の三角形のピークが北岳、中央左のピークが鬼が面山の頂上。剣の峰より。

 

図8:只見沢源頭部より見上げる、鬼が面山の東壁。

 

 守門岳と浅草岳、どちらも山頂付近から大規模に山がくずれているのだが、少し異なる点がある。守門岳山頂部の崖は角がシャープだ。それに対し浅草岳の崖は、全体の形ははっきりとわかるもののなんとなくシャープではない。角が取れているのだ。そして、守門岳北側には明らかにそこから由来するくずれた堆積物、流れ山地形がない。だが、浅草岳は明瞭だ。これはくずれ方の違いを反映していると考えてよいかもしれない。守門岳北側の崖は長いこと時間をかけて少しずつ拡大してきた。それに対し、浅草岳北西の崖は一瞬にしてできた。小規模な崩落の長時間にわたる繰り返し、すなわち浸食か、それとも大規模崩壊か。堆積物の形態もこれを反映しているはずだ。この2つの例の違いをこのように考えてもよいかもしれない。

 

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