立山火山を知る 2 地獄谷編

 

 

1. 山﨑圏谷とミクリガ池


室堂平から少し歩くとミクリガ池の手前に少し広い所に着く。この周辺にはミクリガ池やミドリガ池、血の池などのほか、いくつもの窪地があるがいずれもかつての火口の跡である。おおよそ2万年よりは新しい時代の火口だとわかっているが、はっきりしたそれぞれの噴火年代はわからない。魚も棲まず、一年を通して冷水だが、この近くを散歩している雷鳥を時折見かける。ずいぶんと人慣れしており、驚かせない限りは逃げたりしない。

この目の前にそびえるのが立山連峰だ。ここに国指定の天然記念物、山﨑圏谷の記念碑がある。日本語では圏谷ともいうが、もともとのドイツ語のカールと呼ぶことが多い。山﨑カールは立山連峰の最高峰、雄山の手前に見えるU字型にくぼんだ谷だ。カールは氷河で削れた地形だ。一般には風下側に雪が貯まるので、この付近のカールは圧倒的に稜線の東側に多い。山﨑カールは稜線の西側にできているということで珍しい。それで、かつて日本に氷河があったと最初に発表した地理学者、山﨑直方さんの名前にちなんで山﨑圏谷と名付けられている。もちろん、今そこに氷河があるということではない。なお、この山﨑さんのご子息(四男)が金沢大学教授だった山﨑正男さんで、1960年代に立山火山の地質を調査し、その成果は長いこと立山火山の代表的な研究として受け継がれてきており、親子で立山火山の研究史に名を残している。

最近、この立山連峰を含め、北アルプス北部に氷河があることが確認された。2019年末までに7つ氷河が認定されている。さらに研究が進めばまだ増えるだろう。氷河と認定されるには万年雪の下の氷が動いていることを証明する必要があるのだが、立山連峰のものは、立山駅のすぐ近くにある立山カルデラ砂防博物館の学芸員がポールを設置して何ヶ月か観測して実証し、専門家の作る学会で正式に認定されたのだ。 立山連峰や剱岳では3つの氷河が2012年に認定されて以来、その後も少しずつ増えてきている。

地獄谷(左の窪地)、ミクリガ池(Mk)ミドリガ池(Md)、リンドウ池(Ri) 。日本の火山データベースより

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ミクリガ池と立山三山。三山の中央に山﨑カール。

 

2. 地獄の入り口


地獄谷はいくつもの火口がつながって広くなった大きな窪地だ。内部では火山ガスの量が増えて2012年から一般観光客の立ち入りは禁止されている。私が初めて立ち入ったのはまだ若き学生時代の1981年。いずれ再び立入が可能になるだろう。地獄谷は江戸時代には山岳信仰以外でも大いに栄えた場所だ。立山を支配していた加賀藩は火薬の原料として地獄谷で硫黄を採っていた。加賀藩が江戸時代に富の蓄積をできた理由の1つらしい。地獄谷への入り口は、ミクリガ池のほとりだ。ここからしばらく階段状の遊歩道を下っていく。

この地獄谷には8世紀くらいまでは大きな池があったことがわかっている。地獄谷に広がる白っぽい泥と黄色っぽい硫黄を含む薄い層が100枚以上も堆積しているが、これはかつて存在した湖にたまった堆積物だ。これまでの研究で、8世紀以前には地獄谷のどこかで過去2万年間に4回の噴火があったことはわかっていた。そして最近の富山大学の石﨑泰男さんたちの研究では、もっと頻繁に噴火があったことがわかってきている。

室堂平周辺の火口分布。日本の火山データベースより。

 

ミクリガ池温泉より見る地獄谷1996年。日本の火山データベースより。

 

ミドリガ池と大日岳。日本の火山データベースより。

 

火口湖の1つ、リンドウ池。

 

 

3. 鍛冶屋地獄


地獄谷のほぼ中心に鍛冶屋地獄という場所がある。かつてはそこに4mくらいの高さの硫黄の塔が立っていて、かつては地獄谷一の観光スポットだった。こういう塔を噴気塔あるいは硫気塔と呼ぶ。火山ガスに含まれる硫黄が昇華して結晶化し、それが高く成長していく。そしてときどき燃えて崩れたりする。

1981年の鍛冶屋地獄 。日本の火山データベースより。

 

2015年の鍛冶屋地獄 。日本の火山データベースより。

 

高温になって硫黄が溶けると、それだけが溶岩のように流れたりもする。以前にあった大きな噴気塔は2010年春に燃えてしまった。いずれまた高く成長する日が来ることだろう。ここでは江戸時代から硫黄燃焼の記録が残っているのだが、最近では1972年から1987年にかけていくども硫黄溶融・流出が発生していることが記録されている。

この鍛冶屋地獄の周辺ではあちこちから高温の温泉が湧き出ている。河川の水を引き入れて温泉にしている設備もあり、ミクリガ池温泉などの周辺の温泉宿で利用している。地獄谷では昔から有毒な火山ガスで何度も犠牲者がでている。自分で入浴用の湯舟を掘って入浴中に、ガスを吸って亡くなってしまった人もいるそうだ。地獄谷内にはガス検知器が設置されており、万が一の時には警報が鳴り響くシステムだ。

 

4. 新大安地獄


鍛冶屋地獄から少し西側に沢沿いに降りてみる。ソーメン滝のちょっと手前までだ。川が少し膨らんで青っぽい水をたたえ、直径10メートルくらいの円形になっている。そこは昔の火口だったと推定している。江戸時代に作られた古絵図と比べると大安地獄という場所がここに相当するらしい。そしてそのすぐ裏側の斜面で噴気が上がっている。2006年12月くらいから噴気が出始めたらしく、その頃は山麓からもはっきりとした白い噴気が見えたという。ここを新大安地獄と呼んでいる。

噴気をあげる新大安地獄(2015年) 。日本の火山データベースより。

 

この場所付近では1946年に撮影された噴気の上がる写真も残っている。周囲に泥を吹き飛ばしていたとメモが残っている。気象庁はこれをもとにこの時に噴火があったと認定した。私が昔、このあたりを調査していた時には噴気は上がっていなかった。気になっていろいろな時期に撮影した写真を調べると、噴気が上がったり止まったりの繰り返しらしい。

 

5. エンマ地獄


最近いちばん活発に噴気が出ているところはエンマ地獄という名前だ。鍛冶屋地獄の東側で、雷鳥荘という山小屋のすぐ裏手に当たる。火山ガスも危険なレベルで出ているし、新しい噴気塔も形成されてきている。近づいてよく見ると針状に伸びた黄色い硫黄の結晶も見える。携帯しているガス検知器がピーピーとうるさいが、ガスマスクのおかげで大丈夫だ。ガスで死ぬよりも足下を踏み抜いて下を流れる熱湯でやけどする可能性のほうが高いかもしれない。雷鳥荘付近の登山道は立入を制限されていない。しかし風向きや天候次第では、火山ガスが変化した硫酸の霧が濃くなり、目が痛くてたまらない。事故が起きないことを祈っている。

エンマ地獄(2015年) 。日本の火山データベースより。

 

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