復活した「たたら製鉄」

 しかし、日本が太平洋戦争に突入する前に、軍刀の材料になる鋼をつくる目的でたたら製鉄は復活します(靖国たたら)。敗戦後は「刀(かたな)は武器、武器は作ってはいけない」とアメリカに言われ、しばらく刀を作ることは禁止されました。その後、「刀は日本の文化だ、美術だ」という説得が聞き入れられ、再び日本で刀が作れるようになりました。
 現在、刀は刀鍛冶(かたなかじ)と認定された人しか作ることはできませんし、全ての刀は文化庁に登録しなければなりません。また、刀の材料を供給するために、現在、奥出雲の横田町にある「日刀保たたら」では「大だたら」の操業が毎年、行われています。日刀保(にっとうほ)とは、「(財)日本美術刀剣保存協会」のことです。
 同じ奥出雲の吉田村の「(財)鉄の歴史村地域振興事業団」では、昔から伝わった伝統技術を多くの人に広く伝えるため「小だたら」や「中だたら」の操業が行われています。また、全国の小・中・高等学校や大学、それに市民グループなどのさまざまな団体でも、小だたら製鉄を行っているところがあります。こうやって、古くからの日本の技法を通し、鉄を作る原理を身近に理解し、人間の歴史、道具の歴史、地球の歴史などを考えるきっかけとしています。

 世界中のたくさんの場所で行われて来た古代製鉄の技法が残っている国は、今ではほとんどなくなっています。その中で、かろうじて「刀を作る」という目的が日本にあったために、たたら製鉄の技法が日本に残ったと言えるでしょう。でも、明治の中頃までは、この製鉄技法で農具、大工道具、鍋(なべ)、釜(かま)などの日常の生活用品が作られていたのです。
 その後、近代製鉄の時代に入り、さらに安い鉄鋼材料のおかげで、私たちは安くて均質な製品を手にすることができるようになりました。でも、大量消費の時代には、また別の複雑な問題があることも考えなければなりません。


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