■3.悪夢か「夢のマイホーム」は
◆<都心の土地はどうしてこんなに高い?!>
こうやって私たちの土地探しが2001年の5月に始まった。
・2000.5.5(土) きのうまで用事で山形に出かけ、今日は田無へ移動。近くに住宅展示場があるので、まずは住宅の基礎知識を頭に入れようと思った。それに夫は今、43歳。家を建てて長いローンを返した頃には住めないような状態になるのでは困る。もしも人間が長生きしたら、家も長生きしてもらわなくては困るのだ。60年持つことを売りにしている住宅会社もあったので、詳しく話しを聞くことにした。
ところが、すぐさま「失礼ですが、ご主人様のご年齢は? ご年収は? ハァ・・・・。」と電卓をとんとん叩く。差し出された数字はこちらの思いよりはるかに上だ。そんなに借りられたとしても、返すのがえらく大変だ。しかし、どんどん話しは進む。その住宅会社の不動産部門を紹介されて、そちらへ行くように言われた。まあ、行ってみようとするか。
するとすぐに、土地を見に案内された。2つ見たが1つは隣がボロボロのアパートで誰が住んでいるかわからないようなもので防犯上かなり不安だった。もう1つは最寄りの駅からさらに遠く、それに土地が高かった。
自分たちがものすごく貧乏に思えて来る。
土地探しって悲しくなる・・・・。
でも、あちこち回りながら考えた。どうもハウスメーカーの不動産部門から土地を買えば、そこで建てるしかなくなる・・・・、そうするとさっきの所では坪単価70万〜80万もすると言っていたから、これはずいぶんと高いな。それにデザインの自由性もどこまであるかわからない・・・・。
あっという間に夜になっていたが、田無駅の北口前の不動産屋がまだ開いていた。(株)藤和ハウスだ。しかし私たちが入った店はアパート専門の店舗だったので電話をしてくれ、田無駅南口店舗の土地を扱っている人がすぐに来るから待つように言われた。
前もって私はホームページでもだいぶ調べてはいたが、この不動産屋は田無が本店のせいか、この近辺の物件をたくさん掲載していた。私たちが田無近辺が良い理由は、つくばから通う時に高速道路のインターがそう遠くないからだ。それに何と言っても、やはりこれから歳を取る母とあまり離れない方が良いとも考えた。
まもなく、整髪料でヘアースタイルをバシッと決め、若いのになかなか貫禄のある小高さんという人が現れた。その小高さんと一緒に南口店舗に移動。さっそくまた自己資金と年収を聞かれた。またか・・・・、これで今日は3度目だ。少ししてからいくつかの物件のコピーを持ってきた。その中の1つに西東京市内の物件があった。小さい土地なのでなんとか私たちでも手が届きそうな値段だった。しかし、
「アッ、失礼しました。これは建築条件付きの物件ですね」と言う。
「すみません、それって何ですか。建築条件付きって?」
「工務店さんが決まっているんです。」
「それは建て売りと同じですか。」
「そんなことないですよ。いろいろご希望に合わせて決められますよ。明日の日曜日に現地を見られますか?」
「いえ、明日はちょっと用事がありますので・・・・。」
もう夜の9時になっていた。土地を見るのは月曜日にすることにして店を出た。不動産屋は平日も仕事が終わってから来る人が多いので、遅くまで営業しているという。どこも仕事は大変だ。
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◆<住宅ローンの圧迫感>
ところで、次の日曜日は私たち市民グループ「黒鉄会」(くろがねかい)の作業の日だった。会は古代からの鉄作り「たたら製鉄」を行うのが目的だが、今はそのための丸太小屋作りをやっている。作業に遅刻はできないが、だからと言って月曜日に私が1人で土地を見に行くのは責任が重すぎる。よし、今から土地を見に行ってみよう。
渡された1枚のコピーを頼りに車で走ってみるのは、わかりにくかったが何とか見つけた。駐車場になっていた。ここだな。たったの20坪の土地だが容積率が200%なのが嬉しい。車道に面していてうるさいが、これは我慢するしかない。並木道で雰囲気は悪くない。駅まで8分で近い。6区画が売りに出されていた。
それから最寄りの駅前に行き、スーパーマーケットがあることを確認。バスの便も調べたが、これは悪い。今、住んでいる田無は急行の止まる駅でバスの便は良いし、駅前には銀行や商店街、本屋、居酒屋などがたくさんあるのでにぎわっているが、そのかわり土地が高い。バスの便は諦めるしかない。
家に戻ったのは夜10時を過ぎていた。しかし、夫の俊が心配をし始めた。
「建築条件付きって、間取りを変えられるくらいなんじゃない・・・・。」
「そんなことないんじゃない。その指定の工務店を使えばいいだけでしょう。」
「そうかな〜、ひょとして建て売りと変わらないようなものなんじゃないかな? そんな渦巻き貝のような建物はダメなんじゃない?」
その時、私はそもそも20坪の土地になど建てられないような渦巻き貝のような建物をスケッチしていたが、すぐさまゴミ箱に捨てた。そんな建物は100坪もなければ無理だ。
無理な希望はどんどんゴミ箱に捨てよう。
この時、私たちはまだ「建築条件付き」という世間の常識を何も知らなかったのだ。
・2000.5.6(日) 市民グループ「黒鉄会」の作業日。
木の皮むき作業はここずっと続いている。神奈川県の山間部のゴルフ場でヒノキを伐って丸太の皮むきだ。たたら小屋の増築のための木材調達だ。会員の中に地元の人で小俣さんという人がいる。小俣さんのお父さんは土地をゴルフ場に貸しているが、お父さんが健在のうちなら木を伐って構わないという契約なので、黒鉄会が使わせてもらっている。しかし、作業は遅々として進まない。みんなおしゃべりをしながら作業をしているのに、夫の中野俊は気分が落ち込んでいる様子。1日中、ほとんど口をきかない。
私たちでも買えそうな小さな土地がみつかりそうになると、住宅ローンがにわかに現実味を帯びて来る。そのことが気になっていることが私にはわかっていた。
作業の途中で藤和ハウスの小高さんから携帯電話に連絡が来た。月曜日の時間についてだったが、すでに私たちは土曜日の夜に見に行ったことを告げた。問題は建築条件付きがどの程度の自由度があるかということも話した。しばらくしてから、再び電話が来た。月曜日に問題の物件の売り主である工務店を直接尋ねることになった。
夜の10時半に田無に戻ってからも夫は落ち着かない。いつもなら月曜日の早朝につくばの職場に直行するのだが、急に荷物をまとめて「僕は今からつくばに戻って、貯金がどのくらいあるか調べる。」と言って、心配のあまりつくばに帰ってしまった。
ア〜アと思ったが止めても無駄だとわかっていた。12時過ぎたころ、つくばに電話をしたら「貯金通帳を調べたら、そっちと合わせて自己資金は何とかなりそうだ。」と言う。
「ねえ、そんなこと、明日でもいいでしょう。疲れていて運転して交通事故にでも会うんじゃないかと思って心配するでしょう。」
「ウ、ウ、ウン・・・、心配させて悪かった。それじゃあ、今から田無に行くから。」
「なに言ってるの〜? バカみたい! 何時になると思ってるの? 来なくていいからね。今日はつくばで寝て。」
どうも、わが夫はそうとう混乱していたみたいだ。しかし、多額の住宅ローンを借りるのはやはり気が重いのはよくわかる。「夢のマイホーム」なんてとんでもない。
建築条件付きで、マイホームだって思うように建てられない上に住宅ローンで一生縛られるのでは、どこに夢があるのかと私も思った。夢どころか、これは悪夢だ。「家を建てる」とは、こんなに暗くなるものかと感じた。おかしい、おかしい、何かがおかしい。ひょっとして、お金持ちにしか「夢のマイホーム」はないのだろうか?--------------------------------------------------
◆意味がわからなかった「建築条件付き」
・2000.5.7(月)午前10時。不動産屋の小高さんと売り主の二幸建設(株)に行く。営業担当の人と話しをするが、そうかんたんに「建築条件付き」をはずしてはもらうことはできなかった。再度、次の日に建築士と話し合いをすることになる。
話しがうまくまとまる可能性は低いと思った。その足で田無の別の不動産屋を回り2カ所の土地を見に行った。1つはなかなか気に入ったが、私たちにはやはり値段が高すぎる・・・・。
東京の土地はあまりに高い! 私たちの資金では買えない。狭くて安い土地は建築条件付きのものばかりだ。 やっと私にわかってきたことは、建築条件付きという土地は不動産屋とか工務店が土地を一括購入し、それを小さく分け、建物を建てて一緒に売って利益を出すものだということだ。
だから自由に建物を建てられるような土地はある程度大きくて、当然高い。もしも仮に40坪の土地があったら、それを20坪に2つに分けて建物を建てて売った方が土地と建物の両方の利益が上がる。これが建築条件付きの土地なのだ。
他の田無の駅前にある不動産屋も数件回った。物件はどこも予算オーバーだった。疲れた。私たちには所詮無理だったのか・・・・と、思わざるを得ない。
この日もあっという間に夜8時過ぎになった。今日の最後と、大手不動産屋の田無支店に行った。
「あの〜、土地を探しているのですが・・・・。」と相談を持ちかけた。こちらの要望を説明した。すると、たまたまカウンターで応対してくれた人がこんな話しをし始めた。
「うちでも住宅部門もありますから、大きな声では言えませんがね、お客様のようにはっきりした考えを持った方でしたら、絶対に自分で建築士さんを探して建てるべきですよ。
実はね、私もそうしたんです。大変でしたが、結果的に良かったですよ。世の中、個性個性と言いながら、みな同じ家に住んでいるなんておかしいですよね。家くらい、一生の買い物なんだから、個性を出すべきですよ。みんなが自分で設計士を選んでその人なりの家を建てれば、日本も変わるんですがね・・・・。ぜひ、建築条件が付いていない物件を探すべきですよ。」
これはおもしろい人だ! 思わず、私も身を乗り出した。
「そうなんですよね。お酒飲んで酔っぱらって帰ってきたら、どこも同じ家が並んでいるんじゃ、自分の家をまちがえてしまいますよね。そんな家には住みたくないんです。」
「残念ながら、今日の所は物件がないので少し時間をかけて探してみます。お客様、頑張ってください。」
かなり萎えていた私の気持ちが、不動産屋の営業の人から勇気付けられた。
・2000.5.8(火) 午前10時 再び小高さんと、今度は工務店の建築士に会いに行った。いろいろ思いのたけを話した。友だちが山下設計に2人いるし、姉の自宅は「象設計集団」に頼んだりしているので、私たちが建て売りのような家を立てると「何、それ?」と言われたりするので、少しは工夫をしたものを建てたいと話した。
この工務店の高木さんという設計士はとても静かで感じの良い人で、ちゃんと話しを聞いてくれた。
「もし、そちらで家を立てる場合は設計士は外の人を連れて来るのですか?」と、高木さんに尋ねられた。私はこう答えた。
「いえ、こちらの設計士さんで構いません。私はグラフィック・デザイナーをしていますが、クライアントに恵まれないと良い仕事はできません。でも、私のようなフリーでやっている者になかなかそんなチャンスは来ないのです。ですから、やる気のある方がいらしたら、そういう方に仕事をやっていただくチャンスかとも思っています。私自身が、そうやって少ないチャンスを生かして仕事をしてきた苦労があるものですから・・・・。」
最終的には工務店の資金繰りのことがあるので、社長判断となった。夜の連絡を待つことになる。工務店を出たが、小高さんとはこんな話しをした。
「まあ、ほぼ無理でしょう。でも、連絡だけは待ちますけれど。」
「その時は、一から探し直しましょう。」と、いつも明るい小高さんは言った。
この小高さんは軽い気持ちで建築条件付きの物件でも変更できるかもしれないと交渉を始めてしまったけれど、こんなに大変だったのだ。若さゆえの軽さなのか、この人の性格なのか・・・・。
夫に電話をして報告した。あの土地は無理だと思っておこうと話し合った。